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所長雑感

お勉強能力と生きる力

奈良県大和郡山市の行政書士いしむらです。

 

私の最近の情報インプット源の主流はTwitter。

なんといってもその即効性が魅力的。

140字の制限があることはデメリットだけど、その分内容を端的に書こうとする工夫がうかがえる。

そして、自分がツイートすることを通して、どう表現すれば思いが伝わるのかを推敲する時間も多くなった。

どうしても140字では表現しきれないよなぁって思うことの方が多いけど (^^;

 

今回は、140字どころか、長文になりそうなので、ブログに残すことにした。

 

新R25の記事で、↓これを読んで、子どもの教育についてずっと考えていたことを改めて思い出した。

 

堀江貴文著『将来の夢なんか、いま叶えろ。』より


ホリエモン「学歴は究極のオワコン。これからの時代に必要なのは学歴ではなく“学び歴”だ」


https://r25.jp/article/861195295598052154?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=share_on_site&utm_content=sp

 

 

私は3人子どもを産んだが、結局3人とも4年制大学には進学しなかった。

厳密には末っ子はまだ高校生なので断言はできないものの、高校卒業後はすぐに就職する予定だ。

(私も夫も4大卒なんだけどね)

 

ずいぶん前からの私の持論なんだけど、学校での成績の良し悪しって、いわゆる運動神経と同じように「勉強神経」とでもいうようなものに左右されるんじゃないかと思っている。センスとも言うかもしれない。

ある意味、生まれ持ったものや、幼児期の生活の中で育まれる初期能力みたいなもの。

 

息子たちが学童野球チームにお世話になっていた頃、個々の運動センスの違いを目の当たりにしていた。

小さい子どもにボールを渡して「投げてみ」って言うとする。

何も教えてもらわなくてもきれいなフォームで遠くまで投げられる子もいれば、身体は力いっぱいなのに、何かぎくしゃくして、すぐにでも肘痛めそうな投げ方する子もいる。

転がっていくボールを拾いにいかせても、初動の早い子は追いかける時間も少なくて済むから疲れないで楽しめる。

 

学校の「お勉強」や受験なんかもそれに似たものがあるんじゃないかと。

授業で1回聞いたら内容をすぐに理解して覚えてしまえる子もいれば、理解に時間がかかったり、ひとつわからないことがあるとその後の話が耳に入らなくなってしまう子もいる。

さらに、根本的に 1+1=2 にも 「漢字」という字は「かんじ」と読む ということにも疑問を感じることなく素直に受け入れられる子じゃないとテストの成績は良くならない。

 

で、そういうお勉強能力については、小学生くらいである程度わかると私は思っている。

 

我が家の3兄弟を見ていて思ったのだけど、それぞれに程度の差はあるけど「最終的に勉強ができるようになる」タイプではなかった。(決して頭が悪いわけではない!←親ばかでしょうか?)

長男は中学くらいまではそこそこの成績だったので、4年制大学に行かせることになるかもとは思っていたのだけど。

ただ、そうなっても中途半端な学歴しかつかなくて、余計苦労するんじゃないかとも思ってた。

(結局4年制に魅力を見いだせなかったらしく、2年制の工業短大に進学した)

 

中学生くらいの頃から子ども達に言っていたのは、

 

 「使えない大卒になるくらいなら、使える高卒になれ」


 

仕事で同じ成果を出しても、大卒なら当然と言われることが高卒なら評価してもらえることがきっといっぱいある。

逆に今は、大卒なのに高卒と同じような向き合い方で仕事に就く人も多い。

そんな中で、学歴だけで人を判断する時代はもう言ってるうちになくなるよと。

ホントに「学歴」と認定されるのは旧帝大とか早慶とか、他の特殊な1部の大学だけなんだよと。

(前述の記事でホリエモンは東大以外はダメって言ってるけどww)

中途半端な学歴を追うより、自分のやりたい事やなりたい者に近づくためにどこで何を学ぶかを考えようと。

 

そう、

 

 「どこに行くかではなくて、そこで何をするか」


 

が大切なんだよって。

 

 

これは高校進学の時に特によく言った。

受験の学校選びの段階から、入学してからも。

だから、高校に関しては、特に塾に行ったりしなくても自分の実力で入学試験を突破できるくらいの学校を選ばせた。

塾に助けてもらい、目一杯の努力をしないと入学できない高校では、そのレベルについていくために入学後の生活も苦しくなるんじゃないかと考えたこともその理由にはある。高校にはある程度の余力を残して入学してほしかった。

理由は簡単。その方が楽しいから。

 

中学生の段階で自分の能力の限界を知ってしまうなんて、ちょっと可哀想だし、その後のデメリットの方が大きいんじゃないかなと思う。

中高生なんて、成績しか自分の能力をはかる指標のない「学校」が社会のすべてなのだから、入学試験に通らなかったり、成績が思うように上がらなかったりしたら、劣等感しか育たないんじゃないかと。

実際、日本の若者は自己肯定感が他国よりも弱いらしいしね。

 

でも、中学生の9割以上が塾に通っているといわれている奈良県で、子どもを塾に通わせないのには親としてもかなりの覚悟がいった。実際、怖かったよ。中学時代は本当にテストで点はとれなかったし。

本当にこれでいいのか?この子たちにとって不幸なのではないか?と何度も何度も反芻したよ。

 

お母さん仲間には「親としてできるだけのことしてあげようと思わないのか?」と素朴に聞かれたこともある。

そう考えることも確かに理解できる。

 

でもね、私的には今の子ども達に必要なのは目先の成績じゃないと思うんだ。

 

自分で考えて自分で行動する。何が必要で何が不必要なのか。

自分が求めているものは何?他人が求めている者は何?

世の中の常識って何?それってホントなの?

 

みたいなことを若いうちに目一杯考えられる子になってほしいんだよね。

確かに、目先の成績もいいに越したことはないんだけどww

トレードオフの関係じゃないとは思うんだよね。それって。

ただ学校の成績に反映することはなくても、話を理解する力や、自分で考える力があれば相応の高校には入れるし、その後も生きていける。

本当に人生の差がつくのはそこからなんだよ。

 

ということで、私は

 

 「親としてできるだけのことをするために、できるだけのことをしない」


 

事にしてるのさ。

 

ちなみに、スポーツでも、最初は不器用でそれほど注目されなかった子が努力を重ねてある時急に活躍する、いわゆる「大バケ」というやつがあるように、お勉強能力でもそれはあることも否定しない。

だから、それを信じてそこに注力するのもありではある。

若いうちの時間はとても貴重だ。その時間とお金と労力をどこに投資していくかはその人次第。

結局、要は信じる道を行くことなんだろうな。

 

最後に

 「自分で悩みに悩んで決めた道は、何があっても後悔にはつながらない」


 

と、私は思う。

 

結局、負け犬の遠吠えなのかもしれないとも思ってるんだ。

だから、私がそう思われるのはかまわない。念のため。

だって、子ども達はちゃんと独立して、ちゃんと生活しているから。

それでいいんだよ。
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