日本人は本当に迅速ではないのか?
奈良県大和郡山市の女性行政書士、いしむらです。
ここんところ世間を賑わせている元大手自動車会社のCEOの発言。ブラジルメディアに「日本人は迅速でない」って小馬鹿にしたような記事がありました。
特に逮捕以降の彼の言動は何かとイラつくものが多いですが、この一言は、現在の日本の問題点のひとつを端的に示しているのではないかと少々考えてしまいました。
今回は子ども達への教育の話です。
「迅速ではない」
「ノロマ」って訳されていた記事もあったような話もありますが。
これはネガティブに見た言葉であり、ポジティブな言葉に直すとなんだろう?って考えました。
まず出てきたのが「思慮深い」
そして「慎重」
うーん。ホントにそうなのか?日本人!
今回はあの外国人さんの意見に同調してしまいそう…
「思慮深く、慎重」なのは悪いこととは思えないけど、それが何のためなのかが問題。
「失敗しないため」
ここに重きを置く日本人のホントに多いこと。
子どもの頃から失敗しないことを第1に育ってしまっている。
外国のことはよく知らないけど、これほど
失敗=悪
という国もなかなかないんじゃないかと思うんです。そして、1度失敗すると立ち直りが難しいというところも…
だから、大抵の人は自分の子どもが失敗しないようにと考える。「成功するように」とか「どんな状況でも生きていけるように」とかではなくて。
その状況下で育ったら、チャレンジすることを恐れて、確実に失敗しないかを十分吟味してからじゃなきゃ動けないですよね。
そりゃチャレンジする人から見たら「ノロマ」に見えるよね。
さらに問題なのは、自分の意思で決定する経験がすごく少ないこと。
経験上、自分で悩みに悩んで決断した事って、失敗したとしても反省はするけど後悔はしない。
事前にメリットもデメリットもあげまくっていろいろ吟味した後のことだから。想定外の状況になっても、逆に「そんな事もあるのか!」と新しい発見として認知できる。
安易に決定してしまった時はそうとは限らなくて、また失敗するんじゃないかと次の一手を打つのが怖くなる。自分がどう思うかよりも、他の人が口々に「いい」というものに安心感を持って注力してしまう。
すべては自分で考えて決断する力なんですよねー。
それが大切な事はずいぶん昔から言われ続けてきているのに、なかなかそんな世の中にならないのは何故なんでしょうか?
自分の中では自分で決断したと思っていても、自分の価値観の範囲を超えていくような決断ってなかなかできるもんじゃないですけどね。
本当は「こんな方法もあるよ」って子どもが気がつかなかったり知らなかったりする石を投げてあげるのが大人の役目だと思っているんです。
でも、たいていは大人の価値観なんて今も昔もガチガチに凝り固まっていて、それをさらに噛み砕いて決断しなきゃいけない。
その最後の過程を疎かにしてちゃいけないんじゃないかと思うわけです。
やっぱり、切羽詰まらないと人間の価値観なんて変わらないのかなぁ?
日本はもう十分切羽詰ってると思うんですが、それが一般には浸透してないんでしょうかねぇ…
わたしの価値観は「常識」と言われている事と異なっている部分が多々あるのは自覚しているので、今は単なる常識外れのたわ言ととられても全然構わないと思っています。
でも、たまにはこんな奴の話につきあってみるのも一興かも💕
元記事 日本経済新聞 電子版 2020.1.13
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO54342370T10C20A1EAF000 ゴーン元会長「日本人は迅速でない」 ブラジルメディアで
このブログは元々業務としている「遺言」や「相続」について語ろうと始めたものなのですが、なかなかそこにたどり着けません😅
相続の専門的な手続きなんかの参考にしたいという方には、ごめんなさい!一般に調べられる事書くつもりもあんまりありません。
失礼しました!
でも、検索にはかからないと意味ないんですけどねぇ。難しいところです。
今のところそれはさておきって感じですかね。
石村行政書士事務所
代表 行政書士 いしむらりえこ
事務所HP:https://office-ishimura.com
ご相談予約はこちらから:https://www.itsuaki.com/yoyaku/webreserve/storesel?client=ishimura.com
ここんところ世間を賑わせている元大手自動車会社のCEOの発言。ブラジルメディアに「日本人は迅速でない」って小馬鹿にしたような記事がありました。
特に逮捕以降の彼の言動は何かとイラつくものが多いですが、この一言は、現在の日本の問題点のひとつを端的に示しているのではないかと少々考えてしまいました。
今回は子ども達への教育の話です。
「迅速ではない」
「ノロマ」って訳されていた記事もあったような話もありますが。
これはネガティブに見た言葉であり、ポジティブな言葉に直すとなんだろう?って考えました。
まず出てきたのが「思慮深い」
そして「慎重」
うーん。ホントにそうなのか?日本人!
今回はあの外国人さんの意見に同調してしまいそう…
「思慮深く、慎重」なのは悪いこととは思えないけど、それが何のためなのかが問題。
「失敗しないため」
ここに重きを置く日本人のホントに多いこと。
子どもの頃から失敗しないことを第1に育ってしまっている。
外国のことはよく知らないけど、これほど
失敗=悪
という国もなかなかないんじゃないかと思うんです。そして、1度失敗すると立ち直りが難しいというところも…
だから、大抵の人は自分の子どもが失敗しないようにと考える。「成功するように」とか「どんな状況でも生きていけるように」とかではなくて。
その状況下で育ったら、チャレンジすることを恐れて、確実に失敗しないかを十分吟味してからじゃなきゃ動けないですよね。
そりゃチャレンジする人から見たら「ノロマ」に見えるよね。
さらに問題なのは、自分の意思で決定する経験がすごく少ないこと。
経験上、自分で悩みに悩んで決断した事って、失敗したとしても反省はするけど後悔はしない。
事前にメリットもデメリットもあげまくっていろいろ吟味した後のことだから。想定外の状況になっても、逆に「そんな事もあるのか!」と新しい発見として認知できる。
安易に決定してしまった時はそうとは限らなくて、また失敗するんじゃないかと次の一手を打つのが怖くなる。自分がどう思うかよりも、他の人が口々に「いい」というものに安心感を持って注力してしまう。
すべては自分で考えて決断する力なんですよねー。
それが大切な事はずいぶん昔から言われ続けてきているのに、なかなかそんな世の中にならないのは何故なんでしょうか?
自分の中では自分で決断したと思っていても、自分の価値観の範囲を超えていくような決断ってなかなかできるもんじゃないですけどね。
本当は「こんな方法もあるよ」って子どもが気がつかなかったり知らなかったりする石を投げてあげるのが大人の役目だと思っているんです。
でも、たいていは大人の価値観なんて今も昔もガチガチに凝り固まっていて、それをさらに噛み砕いて決断しなきゃいけない。
その最後の過程を疎かにしてちゃいけないんじゃないかと思うわけです。
やっぱり、切羽詰まらないと人間の価値観なんて変わらないのかなぁ?
日本はもう十分切羽詰ってると思うんですが、それが一般には浸透してないんでしょうかねぇ…
わたしの価値観は「常識」と言われている事と異なっている部分が多々あるのは自覚しているので、今は単なる常識外れのたわ言ととられても全然構わないと思っています。
でも、たまにはこんな奴の話につきあってみるのも一興かも💕
元記事 日本経済新聞 電子版 2020.1.13
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO54342370T10C20A1EAF000 ゴーン元会長「日本人は迅速でない」 ブラジルメディアで
このブログは元々業務としている「遺言」や「相続」について語ろうと始めたものなのですが、なかなかそこにたどり着けません😅
相続の専門的な手続きなんかの参考にしたいという方には、ごめんなさい!一般に調べられる事書くつもりもあんまりありません。
失礼しました!
でも、検索にはかからないと意味ないんですけどねぇ。難しいところです。
今のところそれはさておきって感じですかね。
石村行政書士事務所
代表 行政書士 いしむらりえこ
事務所HP:https://office-ishimura.com
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